New Orleans Jazzだけでなく『Jazz』の話になると、
この方の存在はどう考えても外せない!
かなりの影響を与えた人だろうと思うので、ここにサッチモの事を書いてみました。
『Jazz』の醍醐味の1つとも言える、アドリブソロを確立させたのも
このルイ・アームストロングだと言われているらしい。
今では、ジャズの演奏と言うと、テーマ(主体となるメロディー)を演奏して
一人ずつアドリブソロをとり、最後にテーマに戻って終わると言うのが
普通になっていますが、その昔は『集団即興演奏』(皆で一斉に、それ〜っとアドリブをする)
と言う形態が重視されていて、一人誰かが目立った演奏をすると言う事が無かったらしい。
ルイ・アームストロングは、アメリカの独立記念日である1900年7月4日に
ニューオーリンズの黒人スラム街に生まれた。
と、ず〜っと言われてきました。
しかし、1980年代になって誕生日が間違っていた事が発覚!
新事実は、今まで言われてきた日付の約1年後、1901年8月4日。
どうも、ルイが生まれた頃は貧しい黒人の家の多くが、誕生日が不明な事が多く、
子供達の誕生日を独立記念日やクリスマスとかにして届けていたらしい。
サッチモは本当の誕生日を知らないままこの世を去ってしまいました。
「サッチモの誕生日は独立記念日がい〜!」と言う人もいたりするみたいだけど、
果たしてサッチモさんはどっちの誕生日がお好みかなぁ?
ルイ・アームストロングとコルネットとの出会いは少年院。
13歳の時、銃発砲事件を起こし、少年院送りになってしまう。
そこまではウチも知っていたが、何で発砲?誰かを撃っちゃったの?
かはどこを読んでもあまり見かける事はなかった。
しかし、トランぺッター外山喜雄さんのコラムを読んで知った事をここで書かせてもらいます。
当時、新年を祝う時にクラッカーや爆竹をならして祝うという習慣があったらしいんですが、
その時に小さなおもちゃのピストルをぶっ放した悪がきんちょグループに対抗して、
ルイ少年、タンスの奥で発見した父親の本物の38口径を発砲。
あえなくお巡りさんに捕まって少年院送りになってしまったという事です。
ん〜この頃からやってくれますね〜。
そう、その時入った少年院でコルネットを吹く事になるのです。人生って・・・
少年院から出たルイは、コルネット奏者でジャズ王とも呼ばれる、
ジョー”キング”オリバーに才能を認められパワーアップしていく。
その後、シカゴに移ったキングオリバーに誘われて1922年にルイもシカゴに移って活躍。
さらに、1924年にフレッチャー・ヘンダーソンの楽団に招かれてニューヨークに移った。
1930年代には、ヨーロッパを演奏旅行。現在親しまれている『サッチモ』と言う愛称は、
この時、初めてイギリスに行った時に生まれた模様。
『サッチモ』はルイの口がデッカイ事からついた愛称。
ルイは1953年と1964年に来日している。目の前で見てみたかったなぁ・・・
世界中の人気者になったルイは、とてもハードな日々を送るようになり、無理がたたってか
幾度かの心臓のトラブルにみまわれてしまう。
さらに、ドクターストップがかかっていたにも関わらず亡くなる直前まで
皆の前でラッパを吹き続けていたらしい。
そして、また心臓発作を起こし入院した後、自宅静養に移り、
1971年7月6日、ニューヨーク郊外コロナの自宅で息を引き取った。
自分では見る事ができなかったんだけど、
あるテレビ番組を見ていた妹に教えてもらったんですが、
サッチモが残した言葉で、
「私は名声が欲しかったわけではない。
ただトランペットが吹きたかっただけなんだ」
とサッチモは言っていたそうです。